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仙台地方裁判所 昭和29年(タ)18号 判決

原告 古積アサヨ

被告 古積栄

主文

原告と被告とを離婚する。

被告は、原告に対し、宮城県知事の許可を条件として別紙物件目録〈省略〉記載の不動産について、財産分与を原因とする所有権移転及びその登記手続をしなければならない。

被告は、原告に対し、金二十万円及びこれに対する昭和二十九年九月八日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払わなければならない。

原告と被告との間の二女昌子、三女イセ子、長男幹夫の親権者を原告と定める。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は、被告の負担とする。

この判決は、第三項の金銭支払の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

原告は、主文第一、二、四、六項同趣旨及び被告は、原告に対し、金五十万円及びこれに対する昭和二十九年九月八日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払わなければならないとの判決並びに金銭支払の部分に限り、仮執行の宣言を求める旨申し立て、

その請求の原因として、

原告は、昭和六年一月被告と事実上婚姻し、昭和八年四月十日その届出をし、今日に至るまでの間、長女幸子(昭和八年四月五日生)、二女昌子(昭和十一年一月九日生)、三女イセ子(昭和十四年四月一日生)、長男幹夫(昭和十七年二月二十六日生)を挙げた。ところが、被告は、性来粗暴、短気で婚姻当初から時折原告に対し、暴力を振うことがあつたが、特に今次の終戦後は、飲酒がつのり、三、四年来近年は、夜半深更に帰宅しては、故なく原告及び子供等に対し、暴行を加え、原告等は、恐怖の余り、時折戸外に一夜を明かさざるを得ないことがあり、原告は、そのためリウマチスを病むようにもなつた。その外、被告は、原告の頭部をキセルで殴つて、穴をあけ、ある時は、原告及び二女昌子を柴木で殴打し、ある時は、原告の首を締め、指をまげ、これでも出て行かぬかと暴虐の限りを尽した。更に、被告は、以前から情婦をもち、特に、昭和二十八年十月ごろよりは、同町内の訴外平間つねよと情を通じ、しばしば数日続けて、同女方に泊り、帰宅しては、原告に対し、「他に女があるから、お前のような者は出て行け」と迫り、遂には、踏んだり、蹴つたりの暴行をした。そこで、これまで隠忍自重してきた原告も、遂に、意を決し、昭和二十九年二月六日(旧正月三日)里方である訴外大宮けさの方に引き揚げ、爾来同人方に世話になつている。

次に、被告は、別紙物件目録記載の田、畑を含めて、田約一町四反、畑約二町歩、宅地五百六十二坪、建物十棟延百五十一坪九合を所有し、村内中流以上の生活をしているが、町内の公用に託して家業たる農業に励まず、加うるに、戦時中は、応召のため六、七年留守にしたので、右農地の維持は、ほとんど原告の女手一つでしてきたものであり、このうち田一町一反二畝十八歩は、自作農創設特別措置法によつて買い受けたものである。

しかるに、原告は、被告との婚姻生活二十数年に及ぶが、前記のような被告の粗暴、不貞の行為により、絶えず、苦しめられ、幾度か暴行傷害を受け、身体にも故障を生じ、今回の離婚に伴い、精神上においても、被つた損害は、言語に絶するものがある。

なお、長女幸子及び二女昌子は、原告の家出とともに原告と行動をともにして、原告方に来り、三女イセ子、長男幹夫も切に原告との同居を希望している。

以上の次第で、被告の非行は、離婚原因たる不貞の行為及び不貞の行為を除いても、その他の事実は、婚姻を継続しがたい重大な事由があるときに該当するから、原告は、被告に対し、離婚を求め、離婚に伴う財産分与として、別紙物件目録記載の不動産について、所有権移転及びその登記手続を、前記精神的苦痛を慰藉するに足りる損害賠償として金五十万円及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和二十九年九月八日以降完済に至るまで年五分の割合による損害金の支払を、なお、二女以下三名の未成年者の親権者を原告に指定を求めるため本訴請求に及ぶと陳述した。〈立証省略〉

被告は、原告の請求を棄却するとの判決を求め、原告の主張事実中、原告がその主張のように被告と婚姻し、今日まで四名の子女を挙げたこと、原告がその主張の日被告方から原告の里方である大宮けさの方に引き揚げたこと及び被告が戦時中応召したことは認めるが、その余の事実は否認する。原告の主張する如き離婚原因は存しないから、原告の請求は、失当であると陳述した。〈立証省略〉

理由

原告が昭和六年一月被告と事実上婚姻し、昭和八年四月十日その届出をし、今日まで長女幸子(昭和八年四月五日生)、二女昌子(昭和十一年一月九日生)、三女イセ子(昭和十四年四月一日生)、長男幹夫(昭和十七年二月二十六日生)を挙げたことは、成立に争のない甲第一号証及び原告本人尋問の結果(第一回)を総合して認めることができる。

そこで、原告の主張する離婚原因の存否について、審案する。証人大宮正吉、大宮武の各証言及び原告本人尋問の結果(第一、二回)を総合すると、原告は、明朗、勝気な性格である反面、被告は、性来女色を好み、短気、粗暴で時折原告に対し、暴力を振うことがあつたが、特に飲酒して帰宅した際等は、一層これがはげしく、最近益々悪化の道をたどつていたこと、なかにも、被告は、昭和二十六年ごろ原告の頭部をキセルで殴打し、穴のあく程の傷害を与え、その後も、子供等に対してまで、被告の乱暴沙汰が昂じ、原告が被告方から引き揚げる直前ごろは、被告は、些細のことで原告に殴る蹴るの暴行をし、原告は、恐怖の余り、戸外に一夜を明かさざるを得ないようなこともあり、そのためリユウマチスを病むようにもなつたこと、しかも、被告は、婚姻早々、以前からかなりの情婦を持ち、昭和二十八年ごろから同町内の平間つねよと情を通じ、あるいは、毎夜の如く外泊して午前二時ごろ帰宅し、あるいは、「他に女があるから、出て行け、離婚する。」等と原告を面罵したこと、そして、被告は、昭和二十九年二月六日(旧暦正月)飲酒して帰宅し、原告に対し、又も「出て行け。」と罵倒したので、原告は、納屋で一夜を明かそうとしたが、なおも「出て行け。」と迫られ、遂に、それまで以上の乱行にもかかわらず、隠忍していた原告も、意を決して被告方から原告の里方大宮武方に引き揚げたこと、しかるに、被告は、その後、新たに小林みや子なる者と情を通じ、同女方に入り浸り、依然としてその非を改めないこと、以上のような次第で、原告は、全く被告との婚姻生活継続の意思を失い、遂に覆水盆に返らず二十数年来の原、被告の婚姻は破綻して了つたことを認めることができる。右認定に反する証人古積惣兵衛、平間つねよの各証言及び被告本人尋問の結果は、前顕証拠と対比してたやすく信用しがたく、他に右認定を左右するに足りる証拠がない。以上の認定事実によると、被告には不貞の行為があり、不貞の行為を除いても、被告の非行の存在は、婚姻を継続しがたい重大な事由があるときに該当するというべきであるから、被告の責に帰すべき離婚原因が存するものといわなければならない。従つて、原告の離婚を求める請求は、理由がある。

次に、財産分与の申立について、考察する。成立に争のない甲第一号証、第二号証の一ないし二十、第三ないし七号証、原告本人尋問の結果(第二回)によつて真正に成立したものと認める同第八号証に、証人大宮武の証言、原告(第一ないし三回)、被告各本人尋問の結果を総合すると、被告は、高等小学校卒業後、一時養蚕試験場等に勤めたが、現在田約一町三反、畑約二町一反、宅地五百六十二坪、建物百五十一坪を所有し、農業を営み、部落内中流に属すること、原告の実家も又農業を営み、田約二町歩、山林約三町歩を所有し、部落内中流に属すること、原告は、尋常高等小学校を卒業し、被告と婚姻し、家業たる農業に精励してきたこと、その間、被告は、今次の戦争により、約一年半応召、留守し、又被告は、多くの部落内の名誉職に従事し、外事に多忙で、家業の維持については、原告の力に与るところが多大であり、今次の農地改革においても、自作農創設特別措置法によつて、別紙物件目録記載の田を含めて、田約一町一反、畑約二反を取得したこと、原告は、明治四十五年四月三日生で、現在においては、農業に習熟し、離婚後は、再婚の希望もなく、子女すべてを引き取り、協力して農業を営み、生計を立てる計画であること、そして、原告の分与を求める農地は、被告の自作地で被告方からもその所有農地中遠距離にあり、田、畑は、各別に集団して存在していること、これに対し、被告は、明治四十一年六月二十五日生で未だ働き盛りであることを認めることができる。以上の諸事実に、更に前認定の離婚原因となつた諸事実を総合して考えると、本件離婚に際しては、被告をして、原告に対し、財産分与として原告の主張どおり別紙物件目録記載の農地を分与せしめるのが相当と認められる。ところで、財産分与は、離婚に際し、夫婦の協力程度等婚姻生活における過去の事情を顧慮し、併わせて、離婚後の夫婦双方の事情を考慮に入れて、婚姻中取得した夫婦間の財産関係を清算するとともに、扶養の意味をもかねて夫婦の一方が他の一方を離婚によつて直ちに路頭に迷わしめざることを目的としてされるべきものであつて、民法第七百六十八条は、協議上の離婚をした者の一方は、相手方に対して、財産の分与を請求することができ、右財産の分与について、当事者間に協議が調わないとき、又は協議をすることができないときは、家庭裁判所に対して協議に代わる処分を請求することができる旨を規定し、同法第七百七十一条によつて、これが裁判上の離婚に準用され、更に、人事訴訟手続法第十五条によつて、離婚訴訟の場合、裁判所は、申立によつて財産の分与を命ずることができ、判決による財産分与は、離婚判決確定の時からその効力を生ずるのであるけれども、右規定によつて明らかな如く、財産分与は、当事者の合意を基本として行われるものである。しかるに、農地法第三条によると、農地の所有権の移転は、県知事の許可を受けなければ、その効力を生じないのであるから、原告の被告に対し、県知事の許可を条件として別紙物件目録記載の農地について、財産分与を原因として所有権移転及びその登記手続を求める財産分与の申立は、理由がある。従つて、財産分与についての原告の予備的申立については、判断が不用に帰するので、これを省略する。(なお、本判決は、被告に対し、県知事の許可を条件として農地の所有権の移転を命ずるものであるから、被告が農地の許可申請に協力しない場合は、原告において、本判決を県知事に提出して、単独で許可申請をすることができるものと解すべきである。又将来県知事が許可を与えるに時日を要し、又は万一許可を与えないことがあるかもしれないが、この場合、農地に代る財産分与を維持するためには、民法第七百七十一条、第七百六十八条により、原告は、離婚の判決確定の日から二年経過前に家庭裁判所に財産分与の請求をしておく必要がある。)

次に、原告の慰藉料の請求について、案ずるに、前認定によつて明らかな如く、原告は、被告との婚姻生活二十数年に及ぶが、被告の不貞行為によつて苦しめられ、あるいは、幾度か暴行傷害を受け、今又被告の責に帰すべき原因によつて離婚するに至り、これによつて受けた原告の精神的苦痛の多大であることも察するに余りあり、被告は、原告の右精神的苦痛を慰藉するに足りる相当の損害賠償をすべき義務がある。そこで、その慰藉料の額について、案ずるに、前認定によつて明らかな当事者双方の年齢、経歴、財産、境遇、離婚に至つた諸事情その他一切の事情を総合すれば、金二十万円をもつて相当と認める。従つて、原告の慰藉料の請求は、右金二十万円及びこれに対する訴送達の翌日であること記録上明らかな昭和二十九年九月八日以降完済に至るまで、民法所定の年五分の割合による損害金の支払を求める範囲において理由がある。

そこで、最後に、原、被告間に出生した未成年者二女昌子、三女イセ子、長男幹夫の親権者指定の点について、案ずるに、原告本人尋問の結果(第一ないし三回)によると、長女幸子及び二女昌子は原告が被告方を引き揚げる際から行動をともにし、その後、二女昌子は、昭和二十九年八月以降被告方に居住しているが、長男幹夫が病気のためその世話を見るためであること、なお、三女イセ子も被告方に居住しているが、子女は、すべて原告とともに生活することを希望し、原告も又これら子女を引きとつて愛育し、ともに相協力して将来の生計を立てることを熱望していることが認められ、この事実に前記離婚に至つた経過、特に原、被告別居後の被告の行状を合わせ考えると、右二女、三女、長男の利益のためにもその親権者を原告と定めるのが相当である。

よつて、原告の本訴請求は、以上の範囲において、理由があるから、正当としてこれを認容するが、その余の部分は、理由がないから、失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八十九条、第九十二条、仮執行の宣言について、同法第百九十六条の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 中川毅 野村喜芳 野原文吉)

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